イベント・行事
2005年度「全国研究集会」の報告
1.日 時 2005年6月2日(木)〜3日(金)
2.場 所 名古屋市「サン笠寺」「名古屋逓信会館」
3.参加者 285名
4.内 容 研究集会テーマ 「活力ある調和のとれた長寿社会をめざして」
分科会テーマ1 「エイジレス社会への挑戦」
分科会テーマ2 「環境問題を考える」

○第1日目(サン笠寺)
1. 主催者挨拶〜中央労福協・天井 修副会長
   エイジレスと環境問題をテーマに本研究集会を開催する。
 2007年、多くの方が第2の人生を迎える。60歳といえば活力もやる気も十分にある。その活力とやる気を生かして、活力ある社会を作っていくことが大事だ。
 ひとつの流れとして、環境問題については一人ひとりが考えていかなければいけない。上着を脱ぎ、ネクタイをとることに抵抗がある。言っていることとやっていることを一致させなければいけない。

2. 開催県挨拶〜愛知労福協・神野 進会長
   5/30に愛知労福協の総代会を終えた。中央労福協のテーマにそって、エイジレスの取り組みを強化していくことを確認した。この研修会を通じて全国各地の労福協の活動を研究し活動に取り込んでいきたい。また、中国との交流強化も確認した。中国と20年以上にわたり交流活動に取り組んできた。文化交流を続ければ、お互いの心は通じるはずである。地道に文化交流を続け、中国との関係をさらに強化していきたい。
 この間、中部国際空港と愛知万博の2大プロジェクトに取り組んできた。中部国際空港が開港し、万博が開催できたことはたいへんうれしい。万博は3年半にわたり準備し、「れあろ」として参画した。こども同士、親子のふれあいの場として、自然の英知、環境の大切さを感じてもらいたい。

3. 来賓挨拶〜愛知県産業労働部理事・所 晃(愛知県知事代理)
   愛知県の有効求人倍率は1.72%、失業率は3.5%と他県と比べて良好である。神野会長の出身元であるトヨタ自動車の頑張りもあるが、県としても、やるべきことはやっていかなければと考えている。

(愛知県・神田真秋知事メッセージ)
 勤労者福祉の向上に尽力されていることに敬意を表す。この研修会が活力と調和のある社会を目指した熱心な討議となることを期待する。愛知県はこの間、ファミリーサポートセンターの設置、仕事と家庭の両立の促進、65歳までの雇用延長促進、シルバー人材センター、コミュニティ・ビジネスの育成など労働者福祉の向上に努めてきた。引き続き労働者福祉の向上に努めていく。
 万博に関しては、「れあろ」を中心とした協力に感謝する。万博が夢と希望の場となるよう願っている。

4. 基調講演「団塊老人の明るい未来」〜芥川賞作家・三田誠広
   団塊世代の問題は、ごみ処理のニュアンスがある。国も本気でなく、地方自治体も動かない。
 団塊世代が積立てた年金を団塊世代が使うのだから年金は本来破綻しないはず。団塊世代が年金を掛ける頃から、それまでの積立方式から賦課方式に考え方を変えたのがいけない。ねずみ講のような詐欺、インチキにあった。当時から、団塊世代が老人になることはわかっていたはず。だから、政治は団塊世代に対して責任をとるべきで、団塊世代は、税を年金に投入しろと主張すべきだ。税を投入するのは団塊世代が死ぬまでの30年ほどのことだ。その間は、公共投資を控えればいい。とはいっても、多数決で団塊世代は劣勢にあるから、そのような主張は認められないだろう。団塊世代が自覚を持って生きる以外に方法はない。
 高度成長はエコノミック・アニマルを生んだ。日本は階級のない平等な社会だから、皆が上昇志向を持つ。そして受験勉強しかやらなくなる。教養が身につかない。欧米は、中流・上流しかビジネスマンになれない階級社会。だから欧米では無理をせず、そこそこの勉強しかしない。その分、家族を大切にし、文化に親しみ、教養を身につける。団塊世代の前の世代は軍国少年で、戦前・戦中はお国のため、戦後は企業のために滅私奉公をしてきた。彼らには教養が身についていない。定年後、会社に空っぽにされ、抜け殻あるいは産業廃棄物にされてしまった。各家庭にひとりずついる産業廃棄物には、国も自治体も責任を持てない。産業廃棄物がいると家庭は暗くなる。子どもはフリーターにでもなろうと考える。
 団塊世代は、エコノミック・アニマルになるよう教育された。団塊世代には、モラトリアムがある。一人ひとりが自覚を持ち、定年後をどう生きるかを考え、キャリアやスキルを磨くべき。高齢者は家庭にいてはいけない。定年延長で働きたいなら、若い人と楽しく平等に働くべきだ。団塊世代は理屈っぽく、若い人に嫌われている。若い人に任せ、へりくだるくらいでないと生きていけない。選択肢は働き続けるか、趣味に生きるのか、その中間のボランティアに励むのかの3つだ。
 かつて日本には遊芸というのがあり、隠居して趣味に生きる人々がいた。カルチャーセンターで趣味・遊芸を学び、パフォーマンスをして友達を作ったらどうだろうか。教養があるとは、わずかな金で楽しむことを知っていることだ。教養のない人は金のかかるギャンブルやゴルフに耽る。金を生み出しはしないが、使いもしない趣味を身に付けたい。ある程度ノウハウを身に付けると、趣味は仕事になる。
 趣味の見つからない人は、ボランティア活動をしたらよい。地域のためになる活動をするのもよい。世のため、人のために尽くすには、仲間が必要になる。年金があるのだから、もらう金は少なくてよい。NPOでは偉い人ほどもらう金は少ないもの。これまで日本ではいくら稼ぐかでプライドを保ってきた。これからは社会や公に対して役に立っているかどうかでプライドを保つことになる。それが老後を支えることになる。プライドもなく、金もなければ病気になる。医療費はただではない。失望すると免疫力が弱くなるそうだ。明るく楽しくやれば病気にならない。毎日行く所があって、会う人がいて、社会の役に立つことが大切だ。やることがない人が無理なく働き、働きたい人が働ける環境を作らなければいけない。いわば老人フリーターである。企業は、同じ賃金なら20歳の頼りない若者より、体力的には劣るかもしれないが70歳の老人を雇うはず。健康に不安があるなら、リザーブを用意しておけばよい。体調に合わせて働く、ワークシェアリングをすればよい。そのような環境ができれば、財政負担も相当軽減できる。国、自治体、労組が支援すべきだ。
 組合が、組合員のためだけに運動を展開すれば、組合員とフリーターの格差ができ、組合員が特権階級化するだけ。大企業の労働者は、アウトソーシング先の労働条件まで考えるべきだ。
 団塊世代はヒッピー世代でもある。企業に入り、中流にはなったが、スーツを脱ぐことは簡単だ。最低限の生活も怖くはないはず。趣味やボランティアで暮らしていけるはず。
 これからは、働いているようすだけでは、その人の貧富がわからない時代が来る。明るく暮らせるようになる。

5. 基調講演「なぜ今、自然保護なのか」〜しろうま自然の会・今井信五事務局長(財団法人日本自然保護協会参与)
   「自然保護」といったとき「運動」がイメージされる。「自然にやさしい」といったことばを使う人もいる。nature(英語)natura(ラテン語)は、「万有」「天地」「天然」「万象」「天理」「造化」などに訳されてきた。これを島崎藤村、田山花袋、徳富蘆花ら文学者が自然主義運動のなかで「自然」と訳した。日本人は人間界の外にある自然界を認識していなかったから、「自然保護」という考えもなかった。「自然保護」とは人間界の外にある「自然」を人間の支配下に置く欧米の考え方から生じた。「自然」は残すのではない。子孫たちから借りているだけ。今、食いつぶせば、次の世代の者たちはどうしたらいいのか。
 自然保護といったとき、Nature protection,−preservation,−conservation,−rehabilitation,−restorationの5つの概念がある。15世紀のルネサンス時代は美しさの保護、つまりprotectionであった。19世紀、フンボルトは珍しいもの、特殊なもの、絶滅に瀕しているものを保存しようと考えた。Preservationだ。米国イエローストーン国立公園は自然を点ではなく面で保護しようと世界初の国立公園に指定された。山火事がおきても自然にゆだねる。自然のバランスを崩さないようにする。19世紀後半、自然を維持することで人間も生存していけることに気づいたのだ。これがconservationだ。世界保護会議IUCN(かつてはIUPN)は、「自然保護」を銀行預金の元本を取り崩さず利息を大事に使うことと定義した。現在、自然保護といった場合には、このconservationを意味している。
 自然観察から始まる自然保護の目標は、(1)長期的には、これ以上自然を悪化させず、可能な限り回復させること。(2)中期的には、人々の意識づくりをし、社会システムを構築すること。そして(3)短期的には、人々の気づきを引き出す機会の提供である。これが観察会だ。
 環境倫理には3つの公平がある。(1)利益の公平:今を生きる人種や地域を越えて利益が平等に配分されること。(2)世代間の公平:未来の世代に対する責任、食いつぶしてはいけないということ。(3)種間の公平:宇宙船地球号の乗客は人間だけではないということだ。
 自然保護という目標を達成するには、人づくり=教育、指導員・リーダーや案内人・インタープリターの養成が重要だ。また、自治体、大学、企業と仕組みづくり=法律、経済、社会づくりが重要だ。
 地球誕生から46億年、人類が誕生し、農耕を営み、自然と折り合いをつけながら上手に暮らしていたわけだが、産業革命以降、自然を破壊し、公害を発生させ、化石燃料を大量に消費し、大量生産、大量消費、大量廃棄を美徳とまで言ってきた。人間は自然に理不尽なことをやってきた。今、直面している危機は、第1に、人間が自然に過剰に手を入れたこと、第2が自然から手を引いてしまうこと、第3が人間が持ち込む外来種や化学物質である。
 遺伝子、種、生態系、景観の多様性を保全し、絶滅の防止・回復をしていかなければならない。そのためには、市民が里地里山を保全し、自然を再生し、外来種対策をし、一方で国際協力をしていかなければならない。身の丈にあった行動・活動をすることが自然保護につながる。
○第2日目(名古屋逓信会館)
第1分科会「エイジレス社会への挑戦」
1. 社団法人「長寿社会文化協会」田中常務理事をコーディネーター、NPO法人伊勢まごころサービス・大西理事長、うちの実家・河田代表、シニア社会学会運営サポーター・吉永氏のパネリストから各団体の報告がされた。
 
【大西】 高齢者や障害をもった方が援助を求めている。
往み慣れた町で気兼ねなく日常生活を送られるよう利用謝礼金も安価で助け合いながら活動している。
米国と比べ、NPO 活動への市民のかかわりは善意の寄付金ひとつとってもまだまだ意識が遅れている。地域に根ざした社会作りをとおして運動と意識改革にとりくむ。
【河田】 自治会・ボランティア・民間企業など「地域のやさしさ」を集めて「地域の茶の間」がスタートした。決まり事は、「あの人誰?という目つきをしない」、「仲間はずれにしない」、「排除しない」、「出来ることは自分で」、「エプロンをしないで茶の間に入らない」こと。県下500団体以上にひろがりをみせている。この茶の間に泊まりたいという願いが重なり「うちの実家」が誕生した。前市長もこのボランティアに参加してから一気に“実家”がひろがり、いまや県下から全国へとひろがりをみせている。
【吉永】 退職して地域に帰ってきたアクティブシニアの生きがいづくりは今や国民的な課題。「おとうさんお帰りなさいパーティ」はニーズを反映して犬盛況。在職中に培った経験や技能を活かして、今度は地域で自己実現し、必要とされながら楽しく暮らそうと榎索するシニア層の表れだ。
   
第2分科会「環境問題を考える」
1. 連合・久保田副事務局長が資料「地球温暖化対策――京都議定書の目標達成に向けて――」にもとづき説明をおこなった。
 
2. しろうま自然の会・今井事務局長をコーディネーター、日本自然保護協会・大野氏、乙女高原ファンクラブ・植原代表世話人、鎌倉中央公園を育てる市民の会・相川事務局長をパネリストに、各団体の活動などが報告された。
 
 
【植原】 乙女山高原は、人が毎年秋に草刈をするので、亜高山性高茎植物の多様性が保たれてきた。全労済の補助をもらい活動ができるようになったことに感謝している。
【相川】 山崎の谷戸が公園化される計画が発表になり、田んぼや畑を残す運動を地域の子どもたちや親子で取り組んできた。行政が事務局の人件費すら出さないのが悩み。そんな中で全労済の援助が受けられたことに感謝したい。
【今井】 全労済の支援には大いに感謝をしたい。
【大野】 われわれは、政治的な偏りのない、純粋な自然保護団体だ。政治は、自然保護団体のロビー活動にも応じるようになった。我々が無視できなくなった。我々は自然観察会を通じて人を養成し、自然を次世代に引き渡していきたい。政治には、これからも仕組みづくりを要求していく。

 分科会終了後、中央労福協・菅井事務局長が提案した「地球環境保護に関する行動アピール」を採択し、研究集会を閉会、愛・地球博の「れあろ」の視察を行った。

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