連載

第2回

パーソナル・サポート・モデル事業
地域の社会資源を結集してスタート!

新潟県パーソナル・サポート・サービスセンターの開所式

 いま、思うにパーソナル・サポート・モデル事業(以下、PS:2015年度から生活困窮者自立支援事業へ)は、2009年の総選挙で国民の大きな期待を背負い、政権交代した民主党政権の貧困対策としての“目玉商品”であった。翌年2010年度から内閣府による第一次PSモデル事業がスタートした。

 新潟県労福協は、第一次モデル事業から、この事業の実施を新潟県へ働きかけていたが県の腰は重かった。
 行政は新たな仕事、余計な仕事は進んで手を出したがらない。周囲の模様を眺めながら先走らず遅れず、ということだろう。2010年、2011年と県知事宛ての「労働者福祉に関する要請書」の中にPSモデル事業の実施を盛り込んできたが思いは届かなかった。さすが3回目は、まともに要請してもこれまでと同じことの繰り返しになるだろうとの判断から、手の内は見せられないが攻め方を少し変えてみた。結果、関係団体への働きかけと協力を得る中で紆余曲折はあったが新潟県が第三次モデル事業(2012年度)を労福協に委託することとなった。

 しかし、PS事業は受託したが初めて取り組む事業でもあり、何をどのようにして進めていけばいいのか四苦八苦の末、既に第一次(沖縄)、第二次(長野・山口・徳島)で事業展開している“先輩労福協”にノウハウの伝授等でお世話になった。(改めて謝謝)当初、拠点となるPSセンターは県内3ヵ所を設置予定したが、労福協には、この事業に対応できるような人材は全くと言ってよいほど手持ちはなかった。従って、ライフサポート事業を通じて交流のある連携団体やNPO・市民活動の相談経験者等にお願いし、まさに地域力活用によるチーム編成で3ヵ所のセンター要員を確保してきた。(現在は、新潟県の約6割の地域を対象に5ヵ所のセンターで事業展開中)

 この事業は受託団体だけでやれる事業ではないと承知はしていたが、実施してみて改めて気づかされた。連合の労働相談なんてレベルのものではなかった。重い問題をいくつも抱え、自殺未遂の末に相談に来る人、着の身着のまま父親のDVと虐待から逃げ駆け込んでくる母娘、住む所を追い出され雪深い地域で1年半も車中生活をしていたが警察からPSセンターを紹介されてきた相談者など、当時としては、かなりショッキングな出来事のように思えた。

 新潟市のPSセンターには、一時生活支援として住居を失った相談者には、とりあえず一時しのぎの場としてシェルター(民間アパート借り上げ)の用意がしてある。当然、訳ありの人たちが多く入居しているからトラブルも絶えない。従って、入居の際は、酒・タバコ・ケンカ等、周りの迷惑になる行為はご法度、と申し渡してあるものの、ある夜、パトカーと救急車、消防車が一緒にやってきたことがあった。その都度、PS相談員が真夜中に呼び出される。そんなことが続きアパートの大家からは退去と契約解除を求められ、これまでにいくつかシェルターを移設した。

 ひとり一人の相談者のケースに応じ、この人の支援はいかにあるべきか、月1回の支援調整会議で支援のあり方について検討する。
 会議のメンバーは、行政をはじめ近隣の自治体、福祉団体、NPO、弁護士や司法書士、フードバンク、よりそいホットラインなど、まさに官民一体となった地域の社会資源がこの会議に集まる。PS事業の理念でもある「事業を通じた地域づくり」、「地域共生をめざす」、その姿がここにあると強く感じた。

 今年は、2010年のモデル事業から9年目となる。2014年に生活困窮者自立支援法が制定され、翌年から全国すべての自治体でPS事業が制度化された。この制度(生活困窮者自立支援法)は、のりしろが多く、相談現場からの意見・具申、政策提言等を吸い上げ3年ごとに制度の見直しをはかる。従って、相談員や相談者にとってより使い勝手のよいものになっていくように思える。

 しかし、この事業を進めていくうえでの課題は少なくない。マニュアルのない相談対応、求められる高度なスキルへの対応、相談事業に必要な資格取得など、相談員にとって時間的余裕のない中での自己研鑽も必要となる。
 また、社会福祉士等の資格をもっている若い相談員にとって、仕事内容に見合う処遇となっていない現実がある。

 従って、少しでも条件のよい職場が見つかると退職されていくことになるが、引き留めるすべはない。さらに昨今、プロポーザル(事業入札)でライバル団体が出現するようになった。結果次第では、雇用主としての労福協にとって大きな雇用問題に発展してくる可能性もある。
幸いなことに、これまでは労福協が受託団体として選考されたからよかったものの、新潟県におけるPS事業は、いつまでも労福協のテリトリーではない時代に入っている。

山田 太郎 さん

一般社団法人 新潟県労働者福祉協議会 前専務理事

新潟県長岡市生まれ。JP労組新潟連絡協議会議長を経て、2011年6月から6年間、新潟県労福協専務理事に就任。厚生労働省の委託事業として、生活困窮者自立支援事業(パーソナル・サポート)や寄り添い型相談支援事業(よりそいホットライン)を受託。
その過程において毎日の食事にこと欠く相談者への食糧支援の必要性を感じ、民間団体と一緒に「フードバンクにいがた」を立ち上げ、現在も活動に携わっている。

戻る

TOPへ